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過去に出演したアーティスト達  
Artist-過去に出演したアーティスト-

岩澤二弓(ブレッド&バター)

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兄:岩沢幸矢と「ブレッド&バター」名義で1969年10月シングル「傷だらけの軽井沢」
でメジャーデビュー。
娘はミュージシャンの岩沢シーマ(Seema)。2000年には父娘ユニット「mondayz」名義で、
アルバム「monday beach」をリリース。
1997年ソロアルバムの発売を機に作詞・作曲名のクレジット表記を「岩沢二弓」
から「岩澤二弓」へ変更。ブレッド&バターとしての活動と並行し、ソロ・バンド・別ユニット等でのライブ活動も行う。

2009年2月23日 還暦を迎え、ソロでのライブ活動を再開する。

1969年のデビュー以来現在までに37枚のシングルと27枚のアルバムをリリースし、
美しいメロディと心地よいハーモニーで多くのファンを魅了し続けている。
スティービーワンダー、かまやつひろし、細野晴臣、井上陽水、松任谷由実などのミュージシャンとの交流も幅広く、日本の音楽シーンの基礎を作ってきた第一人者と言っても過言ではない。

Brisa de Mar

Brisa de Mar→ブリーザ・ヂ・マールはポルトガル語で‘海の風”を意味する心地良い南国風極上サウンドの
ボサノバ・ユニットです。

作曲家の檀 雄二とKB奏者の野村美樹子が中心となって結成され、2011年にはアルバム"Invisible Touch"をiTunes StoreやCD Babyから世界発売、音楽情報誌でも和製Michael Franksと称され高い評価を得ています。

ボサノヴァやAORを中心とした「海の風」をイメージさせるサウンドで、先行発売されたアメリカ『CD Baby』のウェブサイトでは、Michael FranksやSeawindが好きな方にお薦め。と紹介されています。

F.gohanでは最も永く続いている人気のグループで最多出場記録を持つ。
Touch of Musicと題した彼らのライブは様々な楽器、歌手とセッションや交流ができ、まさに
『音楽に触れる』
また、近年は様々なライブイベントへ招待されアーティスト活動を行う。

 

太田JIRO [ 太田JIRO OFFICIAL WEB SITE ]

large product photo 高校時代から都内のライブハウス、パブ、ナイトクラブ、ホテル等で プロとしての活動を始め、現在も精力的に
活動中。 85年より市川礼子氏に発声法を学び、ボイストレーナーとしても活躍している。

01年春ニューヨークに渡り、数多くのセッションをこなす。
その秋ニューヨークでのレコーディングを予定するも、 9.11により延期を余儀無くされる。

00年より宇都宮市のゴスペルグループ、BrownBlesedVoiceの 音楽&コーラスディレクターを務め、 現在、都内国立市のゴスペルグループSpirit Of Soul SOSの 音楽&コーラスディレクター兼リードヴォ-カルとしてもライブを行っている。





 

O2T [ O2T OFFICIAL WEB SITE ]

large product photo 様々なジャンルのアーティストをサポート。オールラウンドなギタリストととしてスタジオミュージシャン歴30年、ウクレレの音色の魅力に取り憑かれてしまった松宮幹彦と、ブルーグラスをベースにしたギタリスト渡邊‘nabeken’賢一とのノンジャンルのコラボレーション・ユニット『O2T』
それぞれが一流のサポートミュージシャンでもあることからその技術のレベルの高さは折り紙つき。ジャズをベースにした松宮のウクレレ、渡邉のブルーグラスが創り出す音は、不思議な融合を見せ、心地よい音楽となる。


◆松宮幹彦◆

オールラウンドなギタリストとして幅広く活躍し、映画「ハウルの動く城」、NHKドラマ「ちゅらさん」、その他CMやアーティストのレコーディング等に多数参加。ギター以外にウクレレ、カバキーニョ、ドブロ、チャランゴ、バンドリン、ブズーキ、バンジョー、ラップ・スティール,三線等もプレイ。各楽器を駆使した作・編曲家でもある。現在までに、「ウクレレ」「ウクレレ・ハワイアン」「ナチュラル・ギター1」「ナチュラル・ギター2」(Della)などを発売し、「ウクレレ・フォース~スター・ウォーズ ベスト・カバーズ~」「ウクレレ・ウルトラマン」(ジェネオン エンタテインメント)等にも参加。「UKULELE CLUB」では、ウクレレの一人多重録音でジャズを演奏し、「これぞウクレレ・ジャズ」と話題となる。
 

河口恭吾

large product photo 2000年にデビュー、2003年2月にリリースした1stアルバム「STARS FROM DECADE-輝ける星たち-」
の中に収録されていた「桜」が有線放送、ラジオ局、CDショップに問い合わせが殺到、12月にはシングル「桜」を発売し、
子供から大人まで幅広い年齢層に支持される。2004年には3枚のシングルとアルバム「日々燦々」を発売。

年末には初のNHK紅白歌合戦出場と日本レコード大賞にて金賞、作曲賞を受賞。
10月に自身初の全国ツアーを行う。

2008年 「地球兄弟プロジェクト」の活動で環境系NPOとのイベントやチャリティーライブ等を精力的に
行なう。10月には貧困地域の支援を目指したNGOと組んでカンボジアを訪問。

11月には兼ねてからの旧友・スキマスイッチの常田真太郎との全面コラボアルバム「HORIZONT】を
リリース。
2009年 11月11日に応援歌をテーマに各界で活躍している女性(プロフィギュアスケーター:荒川静香、ファッションデザイナー:コシノヒロコ、他)に歌詞を提供してもらい企画アルバム「WOMANING ~今を生きる女性たちへ~」をリリースし、リリースイベントでは河口の歌う楽曲に合わせて、荒川静香さんがスケーティングを披露た。

2010年 10周年を記念して河口恭吾 自選ベスト「トマト盤」「あじ盤」の2枚をリリース。
2011年 第2弾となるカバーアルバム「君を好きだったあの頃2」をリリースし、カバー曲を中心とした企画コンサート
「ありがとうSONGS」を敢行 2012年 ファイザー製薬のCMソング楽曲として起用された「桜」と「ハナミズキ」
を収録したシングル「桜 キズナVer.」と3年ぶりとなるオリジナルアルバム「ROMANCHIKA」を3月にリリースし、
昨年の企画コンサート「ありがとうSONGS」を4月よりスタートする

林立夫

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中学時代より細野晴臣、後藤次利、鈴木茂などと交流を深め、スカイ、フォー・ジョー・ハーフなどに参加する。
72年より細野、鈴木、松任谷正隆とキャラメル・ママで活動、のちにティン・パン・アレーと名を改め、
数々のミュージシャンとのレコーディング・セッションに参加。

70年代半ば、小原礼、ジョン山崎、大村憲司、村上修一、浜口茂外也とバンブーを結成。
その後、パラシュート、アラゴンなどのバンド活動他、プロデュース活動もしていたが80年代半ばに音楽活動を休止。

96年の荒井由実コンサート参加を機に活動再開。
99年から始まったイベント【GROOVE DYNASTY】の企画・プロデュースし、自身もドラマーとしてプレイする。
その他、沼澤尚が参加のユニットTHREE'SCO.のプロデュース、細野晴臣、鈴木茂とTin Panを結成し
アルバムリリース&ツアー、そして、小坂忠や大貫妙子、高中正義、今井美樹等のレコーディング参加やコンサート出演
など、プロデューサー& ドラマーとして活動。

更に2002年からは、スローライフやスローフードが現代人の心の癒しになるがごとく、人々の心の栄養素となり得るような事を願っ て、音楽CDレーベル、softede(ソフトエッヂ)を設立。レーベルプロデューサーとしても活動している。


中西圭三

1991年デビュー。この年、ダンスユニットZOOに提供したシングル「Choo Choo TRAIN」
(2003年にはEXILEによりリメイク)はミリオンヒット。

90年代のポップダンスシーンを牽引する代表曲となり、第13回JAM広告音楽大競技会作曲賞を受賞。
翌1992年、自らの楽曲「Woman」がCMタイアップとともにヒット。
この年同曲で日本レコード大賞を受賞。並びに第31回紅白歌合戦へ出場。

続くアルバム「STEPS」「STARTING OVER」はオリコンチャートNo.1に輝く。
1994年には企画ユニットICE BOXに参加。シングル「冷たいキス」がヒット。

1995年以降は、Wendy Morton・Peabo Bryson・Christina Aguileraなどの海外アーティストとも楽曲をリリース。
Peabo Brysonに提供した「LIGHT THE WORLD」(デビーギブソンとのデュエット曲)が収録されたアルバム
「Unconditional Love」はグラミー賞にもノミネートされている。

1998年にはビビアンスーが在籍したブラックビスケッツに提供した「タイミング」がミリオンヒット。
以降も、多くのアーティストに楽曲を提供。

また社会貢献として、児童虐待の啓蒙運動である「オレンジリボン運動」や様々な福祉施設に対するチャリティー活動への参加。

地元岡山「岡山国際音楽祭」のプロデュースなど地域や国境さらには様々な境遇を超えた音楽でのコミュニケーションを目指して精力的に活動を続けている。